新しい世界を開く

スウェーデン・リクステアーテン劇団(国立劇場)発行の冊子より抜粋

                 訳・上倉あゆ子−大阪外国語大学非常勤講師−

稚園児および児童・生徒との観劇に関するガイダンス


大人社会の状況における子どものための演劇

 子どものための演劇は、必ず大人社会の状況において行なわれます。書き、演出し、演じ、市場に出し、批評し、買い、チケットを予約するのは、大人です。子どもたちがどの劇を見るかを決め、演劇において子どもたちにとって何が有益で、ふさわしく、そしておもしろいかを判断するのは、大人です。そして、われわれ大人たちがよい児童演劇だと考えるものは、子ども、子ども時代、養育、芸術、文化および学校文化に関する(同)時代の見解によって変化します。

 1950年代、われわれ大人は、善が報われ、悪が罰せられる啓発的な物語劇、想像力をかきたてるお話という入れ物の中に詰められたしばしばかなり厳しい説教を、子どもたちに与えたがりました。1960年代の終わりには、大人社会の考えの大部分が変わり、成長過程の市民に連帯と平等を形成する政治的教育劇が子どもたちには必要だと考えました。1970年代には、子どもたちが必要としているのは、子どもの内面に焦点を合わせ、子どもたちの実存的な問題や時にはなかなか抑えられない感情や気持ちを真剣に演じている劇である、と多くの大人が考える一方、子どもたちが感情的にかき乱されすぎるのではないかと心配する人たちもいました。それ以降、同一化の可能性を与える劇、観ている子どもたちに問題を抱えているのは自分一人ではないことを示し、支えや安心感を与えることのできる劇を子どもたちが必要としていることを、大人社会はますます認めていくようになりました。子どものための劇は何を演じることができるかという境界線は、なくなりました。演劇の表現形式も変化しました‐1900年代の最後の数十年間に、子どものための舞台芸術も、ダンス、パントマイム、ヌーヴォー・シルク、絵画芸術、ポップカルチャーおよびメディアから刺激を受けました。2000年代の商業的でメディア化された社会における子どもや若者の生活は、演劇の状況も変化させます。その変遷についていくのはわくわくすることです!

 児童演劇は大人の選択と評価によって変化します。児童演劇は、育て、楽しませたいという大人社会の願いのための文化的道具として機能してきたのであり、今も機能しています。

 

○演劇の言語

 演劇は、人間とその社会における地位を作り出します。演劇の言語は感情や考えを目覚めさせ、あらゆる感覚に語りかけます。それは、役者と観客が同じ空間にいることに基づいています‐劇はその瞬間のできごとであり、同じものを繰り返すことは絶対にできません。演劇の言語は、色と形、動きと空間、光と音、音楽と魔法、言葉と映像でできた織物です。大人と子どもは異なる形で演劇を体験します‐別々の個人(大人も子どもも同じように)が一つの同じ劇を異なる形で体験するように。レンナート・ヘルシングの有名な言葉「全ての教育的芸術は悪い芸術である‐そして、全てのよい芸術は教育的である。よい芸術は私たちに何かを教え、何かを与え、私たちに何かを見せ、何かを見ることを教える。」は、芸術はある意味では私たち自身や私たちの一生についていつも何かを教えてくれる、と解釈することができます。

■ 演劇は、芸術的で、おもしろく、そして教育的であることができるのです‐同時に!

   教科書の知識と違い、芸術は、われわれの知識の中の、不確かで、未完成で、矛盾し、そしてあいまいなものを表に出す。芸術は、感情や気分、個人的で主観的なもの、衝突とジレンマのための場所を持っている。芸術はしばしば、具体的に、感覚的に語り、決まった答よりもむしろ問題を、議論する代わりに示す。

 

 演劇は、シンボル、絵画、動き、音楽、想像力および劇的効果を通して意味を創り出します‐神秘的、抽象的、予測できない、そして矛盾したものについても。

 

○幼稚園におけるプロの演劇の任務

 幼稚園は、生きた文化的環境であるはずです。遊びや楽しい学びの中では‐演劇を通してと同じように‐、想像力、感情移入、コミュニケーションおよび象徴的な考え方の能力が刺激されます。創作や演技の遊びの中で‐そして演劇との出会いを通して‐、子どもたちは、体験、感情そして経験を表現し、再生することができます。演劇は、子どもたちが知的、倫理的、感覚的および美的側面から学ぶのと同様に、幼稚園のカリキュラムに従って観察し、対話し、熟考する出発点を与えることができます。

 

○学校におけるプロの演劇の任務

 演劇は、視点や経験を広げる想像力、思考、感情および状況と向き合う機会を通して、学校での勉強を深めさせることができます。演劇は、知識および様々な価値観や意見が表され、互いに衝突し合う会話への、インスピレーションを与えることができます。演劇は、完全な答やシンプルな解決策を求めることなく、一貫性を持たせる道具を与えることができます。芸術の強さは、反対に、好奇心や疑問、矛盾や不確かさがあってよいことだ。//芸術の方法や相対的自由は、学校の手本となりうるだろう

 教育計画によれば、学校は、全ての生徒が“社会の文化的施設に親しむことへのさらなる興味”を持つことに責任があります。多くの子どもたちにとっては、プロの提供する芸術に触れる機会は他にありません‐そのため、学校が子どもたちにその機会を与えることは、当然特に重要なことなのです。若い観客のための劇を提供することは、演劇とは何か、またはどんなものでありうるかについて、自ら考えを持つ、同じ民主的機会を誰もが与えられることを意味します。

 一つの劇は良くも悪くも解釈される可能性があります。欠けていると思うことについて話し合うことは、よいと思うことについて話すことと同様に、興味深いものになり得ます。一つの劇に関して様々な意見があることはしばしばです。そして、巻き取り始めるのによい何らかの考えの糸口がないことは、めったにないのです。

 

○教師の役割

 学校および幼稚園向けの演劇は、最も民主的な演劇であり、観客の大多数は、学校を通して初めて演劇に出会います。多くの子どもや若者にとって、それが演劇と出会う唯一のチャンスです‐そして、その出会いは一人の若者にとって、すばらしい、革命的な、きわめて重要なものになるかもしれないのです!

 演劇における大人の役割は、演劇とのつながりとして、そして、意欲、好奇心および期待の仲介者として、重要です。教師は、学校と演劇との出会いへの鍵を与えるため、観劇について準備をしたり、観劇後に取り組んだりすることもできます‐各年齢集団向けの提案を参照してください。

 演劇における教師の役割は、生徒自身の好みや意見を尊重および刺激する作業においても重要です。教師としてあなたは、自分自身が上演される劇について分かっていることや体験することに対する、自分自身の意欲や好奇心から始めることができます。ぜひ話し合い、質問し、話を聞いてください。考えが違ってもいいのです!演劇に答はないのです!難しい問題に対する簡単な答はありませんが、それは議論のすばらしい出発点です。

 

●最も幼い子どもたちのための演劇‐0-6歳児との観劇について

これまでに、劇に引き込まれてそれに見入っている子どもを見たことはあるだろうか。子どもたちは、舞台に向かって体を伸ばす方法を持っている。目は大きく開き、視線は定まっている。たとえ笑っていても、顔つきはしばしば真剣である。なぜならば、たとえフィクションであっても、全てが真剣だからである。

 

○演劇は遊びのそばにある

 演劇は、楽しい学びと、想像力や感情移入への刺激のための場となりえます。子どもたちは遊びの中で、思考や感情に形を与えるため、象徴的な話の筋を作り上げます。演劇は‐遊びと同様に‐独自のルールを持ち、決まった枠の中で起こります。演劇も遊びも、ロールプレイ(異なる役を試す)、現実の変化(“〜のふりをする”)、そして、対象に命を与える能力(人形遊びや人形劇におけるように)から始まります。子どもが遊んでいる時は、“普通の”現実を完全に忘れることなく、ある意味で自分が別人(何か別のもの)であると考えています。演劇は、人生についての一つの意見を芸術的な形で表現する遊びであると言え、子どもたちは、自分自身の現実から、演劇のロールプレイを認識します。遊びの中で独創的な遊びの世界と現実の間を移動できるのと同じように、子どもたちは舞台と観客席との世界の間を移動することができます。

■ 演劇は‐遊びと同様に‐そこでは全てが可能な世界である。

■ 演劇は‐遊びと同様に‐意見を生み出し、現実を反映している。

 全ての劇は楽しみに満ちた冒険であり、役者と観客との独特な出会いである。

 

○小さい子どもは芸術を理解するか

 遊びと想像力は、子どもの発達の基礎となるものです。幼少時代はおそらく、人の一生の中でもっとも独創的な時でしょう。小さな子どもは言葉に対して詩的な関係を持っており、子どもの言葉遊びの中では言葉とリズムが遊び道具になります。子どもたちは、自分の体験を作り変えるために、遊びの中でシンボルを用います。本当に小さな子どもも、シンボルや演劇の言語を読み取ることができます。幼い観客は、演劇における、色と形、空間と動き、音楽、絵、光および言葉が独特に入り混じったものに、惹きつけられます。小さな子どもも、演劇の特別な雰囲気と魅惑的な瞬間に魅了されるのです。

小さな子ども向けの演劇が明快である必要はなく、矛盾に満ちていたり複雑だったりしてよいのです。そういうものが、驚き、疑問そして解釈の余地を与えることができるのです。

 幼い観客は非常に有能な観客なのです‐彼らなりに!

私たち大人は、子どもは(劇を作った大人が考え、観客の中の大人が理解したものを理解するという意味で)理解する必要がないということを、なかなか理解できないことがあります。本当に幼い子どもたちは、大人のように最初から最後まではっきりとしている筋を必要とはしません。子どもたちは理解することに困ることはほとんどなく、興味を持った場面から、非常に個人的で独特な概念を作り上げます‐大人社会の意図と向き合おうとすることなく。小さな子どもは、シンボルやディテールを理解し、劇のなりゆきや場面を長い間覚えていることができます。それらは、劇を観てから何週間や何ヶ月も経ってから、遊びの中に現れることもあります。

 子どもは、自分の体験を大人のように言葉で表すことができません‐しかし、それは、体験があまり複雑ではなかったことを意味するのではありません。小さな子どの感情は強く、子どもは感情を言葉によってコントロールすることをまだ覚えていないのです。幼児向けの演劇は、大きな問題‐生と死、愛と悲しみ、孤独と友情‐を、子どもたちが“理解する”方法で扱うことが可能です。たとえそれが、私たち大人が“理解した”ものと似ていないとしても。言葉や概念も、子どもと大人では異なる意味を持ちます。「ママが泣いたのはおもしろかった」や「ママが弟は死んじゃったと思ったところがおもしろかった」といった子どもたちの劇に対するコメントは、劇がこっけいだったということではなく、劇が子どもの心に触れ、わくわくし、興味深かったことを意味しているのかもしれません。

 ある幼稚園児(4-5歳)のグループが人形劇を観に行き、小さなブタとネズミの劇を観ました。子どもたちはそれまでに、「三匹のこぶた」のお話を聞いたことがありました。このことは、子ども
たちの劇の経験に決定的な意味を持ちました。なぜなら、子どもたちは、舞台にブタがいるのだったら、オオカミもいるにちがいない、と結論付けたからです。劇の間に、オオカミがやってくるという噂が子どもたちの間に広まりました。上演後の子どもたちの会話では、(劇には出てこなかった!)オオカミは強い印象を残した登場人物でした:空想の中でネズミをオオカミに変えたある男の子は、「オオカミもいて、優しいオオカミだった。オオカミらしく鼻が長かったよ。」と言いました。劇を観た後の想像の世界ではオオカミが生きている男の子は、「オオカミは鼻だけ出したよ。鼻だけが見えたんだ。」と言いました。ある女の子は、オオカミは来なかった‐残念ながら、と考えました:「オオカミは森で道に迷ったの。オオカミのお話なんだから、ほんとは出てくるはずだったの。」他の子どもたちも、なぜオオカミが来なかったかの答を見つけました。「オオカミは間に合わなかったんだよ。」「オオカミに言うことを聞かせられなかったんだ。」登場しなかったオオカミは、劇の最も重要な体験の一つとなりました。

 子どもたちは、自らの経験から劇を観て理解します。彼らは、舞台から体験することに意味や意義を見出します‐ですから、児童演劇が本当に小さな子どもたちにとって無意味であることはほとんどないのです!子どもたちは、ディテールに惹きつけられ、自分たちの演劇体験の出発点となる特別な瞬間に魅了されるのです。劇について話したがっている子どもの話を聞きましょう‐または、その日もしくは劇を観た数週間後かもしれませんが、遊びの中で作り変えられているものに注目しましょう。

 本当に小さな子ども向けの劇は、感情を呼び起こし、世界や自分自身の新たな側面を見つける道具、子どもと大人が一緒に芸術を体験する機会を、子どもに与えることができます。

 

○観客はどれくらい幼くてもよいか

 ノルウェーには、0歳から3歳の観客向けの芸術および演劇に、研究者とアーティストが一緒に携わる、“Klangfugl”と呼ばれるプロジェクトがあります。そこでは、現代の乳児に関する研究および遊びに関する研究の知識を用い、教育の一部としてや実用的な側面からではなく、子どもたちが芸術からその瞬間に恩恵を得る‐喜ぶ‐ことを出発点にしています。最も幼い観客たちは、集中し、引き込まれていることがしばしばです。しばしば非常に真剣に。彼らは反応を、体で、表情で、音で表します‐一種のエコーのように物まねを通しても。劇を観に行き始めるのにちょうどよい時期というのに、年齢制限は決してないのです。

 観客の適切な年齢についてはよく議論されます。同年齢の子どもの観客が、経験や視点によって、劇を様々に理解し体験するかもしれません。劇場では、試演や諮問グループを通して、様々な年齢の観客について経験を積んでいます。

 劇場が示す年齢制限を尊重することは大切です。

 

○観客席でどのようにふるまったらよいか

 子どもは自然体です。舞台で起きていることに対して、すばやく、そして直感的に、反応したり、解釈したりします。彼らはしばしば、自分の考えを試したり、感情を表に出したりするために、周囲‐役者、友達および大人たち‐と接触する必要があります。子どもの観客は、しばしば、劇に対して直接コメントします。子どもたちのおしゃべりやささやき声は、集中力不足を意味するとは限りません‐ほとんどその反対です。役者たちはそういったことに慣れており、それを観客が参加している表れだと見ています!あなたは、付き添いの大人として、一人で観客に対して責任を負っているのではありません。他の子どもの邪魔をしているのでなければ、子どもたちを静かにさせたり、正したりする必要はありません‐邪魔をしていることはめったにありません!

 劇場もまた、観客との出会いに対して責任を負っています!

 

○劇場で子どもが不安になったらどうするか

 演劇体験は、状況やその日の調子に左右されます‐役者にとっても、観客にとっても。小さい子どもたちは、自分の意見、経験そして感情を持った、独自の個人です‐全ての子どもが劇を受け入れることを望んだり、できたりはしないかもしれません。一人の幼い観客にとっては、多くの新しい、画期的なこと‐慣れている環境からの移動や変化、見知らぬ子どもや大人、新しい匂い、印象、驚きがあるかもしれません。それらに惹きつけられたり、怯えたりするかもしれません‐同時に両方であるかもしれません。

 役者は、幼い観客の中には不安や恐怖を示す子どもがいるかもしれないことを分かっています。しばらくの間気を付けて、どうしたいかを子どもにまかせる(大人の膝に座る、手を握る、目をつぶる、友達にくっついて座る、持ってきたぬいぐるみを抱く)だけで十分なこともあれば、子どもと一緒に部屋の一番後ろかドアの近くに移動したり、外に出てしばらく休んだりする必要がある場合もありえます。子どもは、起こりうる恐ろしい瞬間を乗り切るための方策を見つけることに長けており、しばしば、ここに挙げる6歳児たちのように互いに助け合います:

クラーラ:私は目をつむってたの。 

カミッラ:私はスティーナの隣に座って彼女の手を握ってた。

大人:ずっと握ってたの?

カミッラ:うん。

大人:スティーナも怖がってた?

カミッラ:彼女は面白がってた。

幼稚園児は、何か恐ろしいものに出会うと、直感的に身体的、非認知的な方策をとります。しかし、怖がることは危険なことではありません。恐れは、子どもの発達や成長過程の一部なのです。

 もちろん、子どもが新しい状況の中で不安になる可能性はあります‐しかし、落ち着いて子どもの話を聞いてください。大人として、あなたは子どもが必要としている安心を与えます。

 

○大人の役割

 大人の観客には、重要な役割があります。興味や好奇心を持つことによって、子どもたちの注目や気持ちに影響を与えます。大人の反応は、子どもの体験や印象をある程度左右します。小さい子どもは自分の反応に対する裏づけを必要としており、注意を向ける大人は、子どもの体験‐面白い、びっくりする、恐ろしい、もしくは悲しいことの体験‐を裏づけることができます。そのことは、子どもたちに、楽しい体験を思いきって受け入れさせる安心と信頼を与えるのです!

 興味を持つ大人として、あなたは子どもたちの演劇体験を支援することができるのです。

 

●7歳から13歳の観客との観劇

 ほとんどの子どもは、学校または幼稚園を通して劇を見に来ます。そのため、教師や他の大人たちの劇に対する姿勢には、大きな意味があります。児童は早くから、理解・しつけ・知識の有用に対する、学校や大人社会の要求と劇とを結び付けています。子どもの観客は、自分たちが劇から何かを学ぶ“べき”であることを知っており、観劇に関連して、しなければならない課題を出されることもあります‐そういった課題は、芸術的な体験の機会の邪魔をするかもしれないので、できるだけ避けたいものです。

 

○子どもの観客について

 客席の雰囲気について、すばやく結論を出すことが簡単なことが時々あります。私たちは、大きな声で反応している生徒より、静かな生徒の方が興味を持っていると思いがちです。しかし、人は見かけによりません:何度か上演した後、出演者たちは、元気でうるさい7年生より、静かで落ち着いた6年生の方が興味を持っていると考えていました‐一方、生徒たちと話してみると、それが反対だったことが分かりました。静かに座っていた観客よりも、落ち着かず集中していないように見えた観客の方が、積極的に参加していたのです。

 子どもの観客は、大人の観客よりも体を使って、そして大人が時折誤解するような方法で、感情を表します。笑いは、緊張または劇がタブーや恥ずかしいことに触れていることによるかもしれません。劇が胸を打つような状況や強い感情を扱っていたりすると、客席に不安が広がることもあります。また、客席の反応が、友人、教師、または状況そのものに向けられている場合も時々あります‐必ずしも劇に向けられているのではなく。

 

○演劇における激しい感情について

 大人たちは、面白くて興奮するものばかりでなく、時には悲しく、苦しく、そして感情を動かすような芸術‐本、映画、テレビシリーズ、演劇‐を好みます。それは子どもも同じです!

‐劇の中でおじいさんが死んだのはよかったと思う。なぜなら、そうするといつでも楽しい訳じゃなくなるし、時にはちょっと泣いてしまうくらいに少し悲しい時があるべきだと思うから。

‐すごくまじめで、ちょっと悲しかったから、この劇はよかったと思う。

‐悲しくなったし、きれいだとも思った、同時に。

 子どもの観客と話すと、しばしばこのような声が聞こえます。そして、タフでクールな言葉遣いの中にでさえ、感動したいという願望があるのです‐このことは、多くの演劇についての対話によって、長年示されています。もちろん、恐ろしいと感じさせる劇というのもあります‐しかし、それは、怖いと思うだろうと大人が思っているものとは、必ずしも同じではありません。子どもには違う視点があり、彼らには、大人の過ちや、重荷になる郷愁がありません。子どもたちは自分自身の経験から考え始め、舞台の上で起こるほとんどのことについて話し、議論することができます。困難なことについて話すことは、安心感を与えることができます。子どもはしばしば、自分がそれを必要とすれば、幸福な結末を作り出します。子どもたちは前を見て、新たな像を作り出し、話の続きを作ります。

 そして、演劇が子どもたちの現実がなりえるよりもひどいものであることは、めったに‐または決して‐ないのです!

 

○演劇の現実について話す

 子どもたちは、劇の中で現実だと思えることや理解できないことについて、非常に頻繁に議論します。本当らしくないという意味で“おかしい”と思えることについては、しばしば話したがります。“非現実的”なディテールについて、長い間話し合うこともあります:「どうしてシャワーから出てきた時、彼は濡れていないのか」。しかし、重要なのは“内面的”な信頼性であることがしばしばです‐あらすじ、役、および状況は信用できると感じられたか:「私たちみんながこれを見たのはよかったと思った。なぜなら、ひとりぼっちでいるのがどういうことか分かったから。友達を作るためには何でもするってことが。」

 演劇は、認識や同一化、感情移入や慰めのための場となることができます。劇の中には、“本当らしく”しようとせず、感情、雰囲気そして体験を伝達するために、シンボル、音楽、ダンスや絵を用いるものもあります。

 

○演劇用語について話す

 大人社会は、言葉によるテクストに対して、子どもたちよりも大きな信頼を寄せることがしばしばです。たしかに子どもたちはテクスト中の非常にわずかな変化を理解できるかもしれませんが、ボディランゲージ、動き、音楽、衣装および絵が、最も興味深いものだと感じられることもあります。子どもたちはしばしば、舞台装置、技術および効果に関する手作業の上手さを評価します‐劇の後でよく話題となるものです。

 

○「子どもたちはこれを本当に理解しただろうか」

 よく耳にするのが、劇が終わるとすぐに、大人が子どもたちに劇を“理解した”かどうかを尋ねている様子です‐それは、劇の後や、音楽を聴いたり絵画を見たりした後に、大人同士ではめったにしない質問です。われわれ大人は、子どもの観劇に関連して、理解という概念にしばしば困ります‐子どもたち自身よりも困るのです。大人社会は、理解という概念を、大人の意図を理解するという意味で受け取ります。小さな子どもは、自分の理解に何の問題もありません。幼稚園児や小学校低学年の児童は、自分の視点からスタートし、ディテール、場面や劇の興味をひかれる部分を選び出し、それらを自分自身の考えにまとめます。

 わかりやすさという意味での理解という概念はしばしば、質問と答、正解と間違いに関する学校および学校教育の基準として登場します。しかし、演劇体験に答はないのです!大人たちが理解を質の基準として見たがるということを、子どもたちはすばやく身につけます。

 語り手がおらず、つながりのない関係や夢からなる幻想的な劇に関連して、9歳の子供たちは次のようにコメントしました:

「劇はおもしろくて悲しかったし、とてもたくさんのことが分かった。」

「よかったのは、お話の筋が分かったことです。」

「劇はとてもよかったと思う。分かりやすかったし。」

 子どもたちは、自分たちが理解していると言えば大人たちが満足することを知っており、この子たちは大人を喜ばせようとしたのです。子どもたちと話をしてみると、彼らがそれぞれの経験から、全く違うものや不思議な劇の世界を体験していたことが、後で分かりました。

 演劇は、単純な問題に対する明快な答を得るという意味において“理解”できるとは限りません。演劇は、答を与えることなしに質問を投げかけるかもしれません。演劇は、熟考したり議論したりする気にさせたり、画期的で感動的、憂鬱だったり愉快だったりするかもしれません。子どもたちは、劇が具体的でなかったり分かりにくかったりする場合でも、自分の人生経験から劇を解釈します‐世の中が単純でなかったり分かりにくかったりする時と同じように。演劇との出会いや、劇についての会話を通して、子どもたちは自分自身の現実について考えることができるのです。

 演劇は、現実を広げ、空想の世界を開き、思いがけないもの、あいまいなもの、びっくりするものに余地を与えることができます。

 

○演劇と学校での勉強について

 観劇を、あらすじの要約などの形の“宿題”を出す、学校の課題にはしないでください。そうすれば、劇を観に行くことがより楽しいものになります‐そして、得られるものは、少なくとも同じくらい大きく豊かなものになり得ます!あるクラスでは、体験したり本で読んだりしたことについて書くようにしています。ぜひそうしてみましょう‐そして、正しい綴りや構文を求めたりしないでおきましょう。

 ある観客調査では、大人のインタビュアーと7年生の生徒何人かとの間で、次のような会話が交わされました。

大人:劇を観た時はいつも後で話をするの?

ホーカン:うん、それが一番大変なんだ。

大人:一番大変なの?

ホーカン:そう、それからそれについて作文を書かないといけないんだ。ただ…(嫌な顔をして、身ぶりで示す)

大人:それは全然楽しくない?

マティルダ:うん(グループの他の子供たちが賛同する)

大人:そう…全部学ばないといけないことになるのね?

マティルダ:うん…

ホーカン(彼女を遮って):そうなんだよ、まるで同時に勉強してるみたいに感じるんだ… “ああ、彼はこうしたんだ…なるほど…”

大人:全部覚えていないといけないの?

マティルダ:そう、どんな話だったか全部覚えていなくちゃいけなくて、それをきちんと書けるようにしないといけないんだ。

義務的な作文による“勉強する感じ”をなくしていたら、観劇はもっとポジティブに受け止められていたのではないでしょうか。生徒たち自身の必要性、考え、劇の体験からスタートした対話の方が、もっと有益だったのではないでしょうか。

 

●観劇の前に

○観劇の前および観劇中の教師・大人の役割

観劇の前や後に、できる範囲で、劇について取り上げてみましょう!可能であれば‐劇自体の題材から始めてみましょう。教師は、劇の内容、テーマ、問題提起について、エキスパートである必要はありません。教師は、生徒たちと同様に、独自の経験を持つ一人の観客なのです。

          観劇の前に、実際的なこと(バス旅行、時間、場所)を明確にすることで、子どもたちに心構えをさせて下さい。

          劇場/劇と映画館/映画の違い、劇は直接的なコミュニケーションであり、観客と一緒に作り上げるものであることを話してください!

          これから起こることを前もって少し味わうため、何についての劇なのかを知らせてください‐しかし、あまり詳しくしすぎないように。

          劇が扱うテーマや問題について、大人が準備しておくことはよいでしょう‐たとえ子どもたちが劇の中の全く別のことに興味を持つことになったとしても。

          可能であれば‐劇の前後の時間をたっぷりとってください。

          可能であれば‐ストレスなく劇の体験がしみ込むようにさせてください。しばらく残っていたり、劇の舞台装置や小道具をもう少し見たり、役者と少し話をするための時間はあるでしょう。

          準備の目的は、公演に対する気持ちや興味を呼び起こすことです。演劇用語に対する基本的理解や、劇に関する思考への刺激を与えることもよいでしょう。

          劇のテーマ、作者、劇が書かれた時期、上演された時期などについて読むことを通して、劇のテーマ自体を紹介してください‐おそらく劇場の助けを借りて。しかしながら、あらすじについてあまり詳しく話す必要はありません‐劇は、驚き、一つの独特な体験でもあるべきです!

          観劇を、あらすじの要約などの形での“宿題”を出す、学校の課題にはしないでください。そうすれば、劇を観に行くことがより楽しいものになります‐そして、得られるものは、少なくとも同じくらい大きく豊かなものになり得ます!

●観劇の後で

○観劇の後で、どのようにそれを取り上げるか

 今日子どもたちは、じっくり考える余地があるとは限らない、非常にすばやいメディア社会に生きています。劇についての対話は、じっくり考えたり、深めたりする場を与えることができるでしょう。

 前提条件は、全ての意見には同じ重みがあるということです‐教師のものと同様に生徒のものも。人はそれぞれが様々に考えることができ、様々に考えてよく、異なる意見や違った好みを持っています。わくわくするのは、お互いの話を聞こうとし、考えや体験を比べられる時です。

 注意!話し合いは、評価や好みについてより先に、劇のあらすじ、テーマ、問題、話題となっていることなどについて話すことから始めてください。そうすることで、しばしば対話がより熱心で変化に富むものになります。明確に表現できない‐またはできなくてもよい‐けれど、静かにじっくり考える必要のある感情や体験があります。そして、劇の後で他の人たちと話し合えるのが楽しい考えや感情があります。

 

○記憶の輪

 劇についての対話は、いろいろな方法で始めることができます。記憶の輪で始めるのがよいこともあります。劇の中で特に覚えている場面を思い出すために、全員が少しの間考えます‐おそらく目をつぶりながら‐。全員が準備できたら、順番に自分の覚えていることについて話します。グループ/クラス全体に話す前に、それぞれの席でペアになって互いに話すこともできるでしょう。または、話し合う前に、それぞれの記憶を絵や文章にすることもできます。記憶の輪では、劇について再び話し合ったり、中心となる場面、テーマ、側面について様々な解釈や見方を見つけたりするための、共通の土台を作ることができます。

 

○幼い子どもとの演劇についての対話

          子どもたちに、劇について話し合い、深く考えさせてください。

          おそらく子どもたちは、プログラム、絵または劇場からの記念品など、話のもととなる何かを得ているでしょう。しかし、自分の体験をそっとしておいてほしい子どもに対しては、それを尊重してください!芸術体験が溶け込むには、時間がかかるかもしれません‐劇での記憶が、それがあってから数週間や数ヵ月後の遊びや会話の中に現れることもあります。

          もししたければ、観た劇について、絵を描かせたり、子どもたち自身に劇または人形劇をさせてみることもできるでしょう。劇を、想像力、独創性、子どもたちが自分で何かを作る出発点にしましょう。

 

○児童・生徒との演劇についての対話

 対話は、教師が生徒たちの意見に興味を示すことから始めることができます。生徒たちが良かったと思ったか悪かったと思ったかだけではなく、彼らがその劇は何を扱っていると思ったかについてもです。どのようなお話が語られているか。自分に覚えがあることか。テクスト、音、絵および動きによる、演劇独特の多面的な言語を通して内容が形作られるということから、劇を巡る会話を始めることもできます。

 

○どのように‐どんな方法で‐劇では語られるか

          背景、照明や衣装、音楽や音では、時間や環境はどのように描写されているか

          登場人物は役者によってどのように描写されているか

          登場人物は衣装によってどのように描写されているか

          背景や衣装、照明や音、音楽や動きでは、感情や雰囲気はどのように描写されているか。そして、役者の役割や演技ではどうか。

          特に重要な場面、状況およびできごとはあるか。理由も挙げて!

 

○どんな感情や考えを劇は伝えたいのか、劇は何を語りたいのか

          何に関する劇か

          劇で語られることに覚えがあるか

          現実的(現実を描いている)な語りか、架空(神話、典型的なモチーフから)の語りか、など

          劇の中に、様々に解釈することができるシンボルまたは比喩はあるか‐あるのであれば、どのように?

          劇の続きを想像できるか‐それから何が起こったか

●演劇は教育計画に沿った機会を与える

学校および幼稚園の教育計画には、社会の文化的施設に親しむことへのさらなる興味を生徒に持たせることが、学校および幼稚園の目標に含まれていると、明確に示されています。学校教育計画には、生徒は、知識、感情および雰囲気を表す様々な表現を経験できるべきであること、そして、“独自の文化遺産の認識や、共通の文化遺産への参加は、他者の立場や価値観を理解し、その中に身を置いてみることの能力と共に、発達に重要な確かなアイデンティティを与える”ことも述べられています。

演劇を、教育計画の努力目標に沿う機会にしましょう:

          全ての子どもが、聞き、語り、熟考し、自分の考えを表現する能力を発達させる

          全ての子どもが、語彙と理解を増し、言葉、書き言葉への興味、シンボルの理解への興味、コミュニケーション機能を用いて遊ぶ能力を発達させる

          全ての子どもが、創作能力を発達させ、体験、考え、経験を、遊び、絵、動き、歌や音楽、ダンスや劇のような多くの表現方法で伝える能力を発達させる。

 学校教育計画では、次のことが強調されています:“学校は、基本的価値観を伝達し、それを通して、生徒たちが社会の中で生き、機能するための準備をすることを学ぶ支援をする任務を負っている。”そして“教育としつけは、深い意味では、文化遺産‐価値観、伝統、言語、知識‐を世代から世代に伝え、発展させるという問題である。”一方で、高校教育計画では、学校は“全ての生徒が、知識、自己洞察および喜びの源泉として文化的施設に行くことができるように”そして“美的創作や文化的体験から刺激を得られるように努める”べきであると示されている。

 演劇公演を、生徒が“自分の見地を自分で明確に表す能力を増し”、“聞き、議論し、主張し、自らの知識を

          仮説を示し、検討し、問題を解決する

          経験について熟考する

          主張や状況を批判的に調査および評価する

ために利用する”ことを学ぶための、出発点として利用しましょう。


晩成書房発行 ジャーナル「げき」5号より転載